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2010年7月25日日曜日

奥田民生:Win-Win Relationship ---ネット配信とCDリリースの共闘 更なる音楽業界の発展へ

奥田民生氏の2年10ケ月ぶりとなるニューアルバム『OTRL』が、8月4日に発売となる。このブログでもお知らせしたが、この『OTRL』は、民生氏が3月15日から5月23日まで、計10回にわたって行ってこられた、「ひとりカンタンビレ」ライブで録音された10曲の音源を、スタジオで再びミックスダウンし、これに「幻の公演」で録音された『暗黒の闇』を追加した計11曲を収録したものである。初回限定盤には、5月7日のSHIBUYA-AXでのカンタビレライブのダイジェスト映像と、質問コーナーの映像が入ったDVDが付いている。Amazonで購入すると、初回限定盤は20パーセントOFFで購入できるので、この奇跡の名盤をぜひ手に入れて聴いていただきたい。また、「Sound & Recording Magazine」7月号で、民生氏のエンジニアでいらっしゃる宮島哲博氏のお話にもあるように、すでに配信済みの音源をお持ちの方でも、リミックスされたものと聞き比べることによって、ミックスダウンという作業がどれだけ楽曲に影響を与えるか、ということを実感するいい機会になることは必至である。宮島氏は上記の雑誌の中で、カンタビレライブを行うに当たってのご苦労やその後のリミックスの際に気をつけられたことなどをお話されており、民生氏の最も近い仕事仲間の一人でいらっしゃる宮島氏から見た、奥田民生という音楽家の佇まいが伝わってくる、大変興味深い内容であった。音楽業界を目指される方は一読をお勧めする。

CDの売り上げが伸び悩んでいるといわれて久しい。CDの売り上げが落ちるに伴って、音楽業界も下り坂に差し掛かってきているようである。売れないCDを何とか売るために、DVDを添付したり、ライブ音源を付け加えたりと、工夫に余念がない。夏フェスのチケットも、売れ残り続出という状況である。こういった状況は、リスナーの音楽に対するモチベーションの低下を表しているだろう。「音楽」が単なる消費の対象として、「使い捨て」ならぬ「聴き捨て」されているのだ。
そして、CD売り上げ減少、つまり、「音楽の使い捨て現象」のA級戦犯と名指しで非難されてきたのが、itunesなどを代表とする、ネットでの音楽配信である。

ネットでの音楽配信が、インターネットの普及に伴って爆発的に広まった。「1クリックで好きな音楽を手軽にダウンロード」「アルバムを買わなくても、好きな1曲だけでも購入可能」といった、手軽さと安価が受けて、音楽のネット配信は、CDの売り上げを圧迫するまでに成長した。また、携帯電話で、「着うたフル」といった1曲丸まるダウンロード可能といったサービスも、消費者に爆発的に支持されてきた。
しかし、最近、この音楽のネット配信、特に携帯電話でのダウンロードが、急速に萎みつつある。だからといって、急にCDの購入に客が戻るわけもなく、音楽業界全体の衰退に拍車をかける、といった様相を呈している。

ここで、この問題に新たな解決策を提示したのが、奥田民生氏のひとりカンタビレライブである。ネット配信の即時性を十二分に活かして、その日のレコーディングライブで収録した楽曲を、3時間以内にレコ直やmoraといった、音楽配信サイトで即日配信。ライブに行きたくても行けなかった多くの民生氏のファンは、「出来立てほやほや」の民生氏の楽曲をほぼタイムラグなしで聴くことができたのだ。また、普段は完成品としてのアルバムを聴くことしか出来ないリスナーが、「アルバムが出来上がる過程」をどきどきしながら見守り、1曲1曲の完成を心待ちにする、という楽しみも同時に与えてくれた。これまで、音楽のネット配信の特性をここまで活かすことの出来たアーティストがいただろうか。私は、寡聞にして知らない。

そして、民生氏のさらに凄いところは、ライブで収録した音源をそのままCDにするのではなく、さらに時間と手間をかけてリミックスし、「音源は同じだが、ミックスが異なる」CDを、ひとりカンタビレツアーが終了してほぼ2ヶ月半でリリースするという偉業にある。ネットでの配信曲がまだ新鮮味を失っていない、つまり、まだ話題性があるうちにCDをリリースすることで、ネットでの楽曲ダウンロード数も、CDの売り上げも相乗効果で上昇するだろう。このタイミングのよさ、判断力、見通しの確かさ、どれをとってもすばらしい。民生氏は、音楽家として優れているだけでなく、実業家としても大変冷静で頭の切れる方である。

勿論、こういった形態が、すべてのアーティストに応用され得るとは思っていない。なぜなら、ひとりカンタビレというライブは、民生氏の音楽家としての力量に拠って立つところが大きいからである。しかし、この、民生氏のパイオニア精神に溢れる挑戦は、「ネット配信 VS CD売り上げ」という図式を、まったく異なる角度から捉えなおし、"Win-Win"関係の構築の可能性を示唆している。

この先、「ライブで新曲発表」→「その日のうちにライブ音源をネット配信」→「後日リミックスしたCDを発売、特典にライブ映像添付」というCDの売り方が主流になっていくのではないだろうか。そうすることで、音楽のネット配信とCD発売とは、適切な「棲み分け」がなされ、どちらも生き残り、音楽業界の発展に寄与するのではないだろうか。

奥田民生氏の今回の挑戦は、私に音楽業界の新たな発展の可能性を感じさせてくれた。そういう意味でも、真に革新的なライブであったと思う。

2010年7月6日火曜日

奥田民生:求めよ、さらば救われん ---表現者という孤独

これまで、何回かにわたって拙い私的奥田民生論を展開してきたが、ここで一旦中間総括を行っておきたいと思う。

民生氏の作詞の技法として、メタファーの多用、擬音語、同音異義語の多用、矛盾する表現を同時に使用するなど、これまでの考察の中でいくつか指摘してきた。それを踏まえた上で、民生氏の詩の世界をもう一度考えてみると、興味深いことが浮かんでくる。

民生氏は、ご自分の心の内をストレートに歌詞に載せる、ということはほとんどない。上記で指摘した技法を駆使して、いうなればリスナーを上手に「煙に巻く」ことを得意としていらっしゃる。しかし、いわゆる芸術家といわれる方たちは、表現する以外に魂のほとばしりを止める手段がないので、やむにやまれず表現者に成っているのだ。だから、自分のメッセージが伝わらなくていいと思っている表現者はいないだろう。そういう意味では、民生氏も表現者であるから、「どうしても伝えたいこと」を必ずお持ちである。

皆さんは民生氏のCUSTOMという楽曲をご存じだろうか?どなたかがもう指摘されていることだが、この楽曲は珍しく民生氏のストレートな思いが歌になったものである。以下に歌詞を引用する。

CUSTOM

伝えたいことが そりゃ僕にだってあるんだ
ただ笑ってるけれど

伝えたいことは 言葉にしたくはないんだ
そしたらどうしたらいいのさ

そこで 目を閉じて 黙って 閃いて 気持ちこめて
適当な タイトルで ギターを弾いてみました


頭の中が 見せられるなら 見せるんだ
ただ笑ってるだけで すむのさ

だから 目を閉じて 気取って 間違えて 汗をかいて
あやふやな ハミングで 歌を歌ってみました
叫びました

誰か 誰か 見ててくれないか
誰か 誰か 聴いてくれないか
声が 音が 空に 浮かんで
届け 届け 響け そう 響け 

雨と 風と 君の歌だぜ
愛と 恋と 僕の歌だぜ

アメリカ ジャマイカ インドネシア エチオピア

山と 海と 乗り越え 鳴らせ 
彼方へ 飛ばせ 

届いてる? 


一読されればお分かりかと思うが、ここには、上で指摘した作詞の技法はあまり多用されていない。強いて言うなら、同じ言葉を繰り返したり、語尾の音が同じ言葉を連ねたりといったところだろうか。

言いたいことをストレートに言おうとすると、どうしても虚飾を排し、ストレートな表現になってしまう。これは一般の人間でも同じではないだろうか。民生氏の場合もそうだと言えるだろう。しかし、ストレートな表現を避けている彼にとって、避けていることをあえて行わなければならないほど、表現したいことがあった…CUSTOMを聴くと、そういう思いに駆られる。

では、歌詞の中身の考察に入ろう。この歌詞からうかがえることは、民生氏が「言葉を信用していない」ということである。それは、「伝えたいことは 言葉にしたくはないんだ」「頭の中が 見せられるなら 見せるんだ」という歌詞から推察できる。確かに、言葉は両刃の剣である。言葉は気持ちを伝えるためには避けられないものだが、使い方を間違えると、自分の意図しないところで、相手を深く傷つけることもある。逆もまた真で、相手の何気ない一言で、私たちは深く傷つく。時には立ち直れないほどに。

民生氏は若くしてユニコーンというバンドでデビューし、一瞬の内にスターダムに駆けのぼられた。芸能界という華やかな世界のことは私には理解できないが、20代前半の若者には抱えきれない、つらい思いを沢山されたのではないだろうかと思う。人間は、華やかなところにはどんどん寄ってくるものだからだ。まるで、花の蜜に群がる蜂のように。そこで、意味のない空虚な褒め言葉を沢山聴かされたのではないだろうか。

このような、「言葉」を信じていたのに「言葉」に裏切られた、という辛い経験から、民生氏は「言葉」を信用することができなくなってしまったのではないか。なぜなら、初期のユニコーンや、ソロデビュー後初シングル「愛のために」や「息子」で民生氏が書かれた歌詞は、彼のストレートな感情のほとばしりを感じることができるものが多いからだ。

民生氏の楽曲の中に良く使用される、矛盾する2つの要素を同時に一つの楽曲に存在させるというパターン。これは、民生氏の中にある、アンビバレントな思いの表れではないだろうか?---「自分の思いをわかってほしい、でも、言葉は使いたくない」だから、「頭の中が 見せられるなら 見せるんだ ただ笑ってるだけで すむのさ」

ここからは、私の勝手な意見である。

人は、相手を信用しなければ、決して相手から信用されない。求めるばかりでは、決して与えられない。これは、言葉に対しても同じではないだろうか。言葉を信用しない人は、必ず言葉に裏切られる。なぜなら、言葉を尊重しないからだ。

民生氏の楽曲を聴いて、なぜこんなにも惹かれるのか、その理由を知りたいがために、このブログを開設したが、答えが少し見えてきた気がする。それは、民生氏の心の奥底には、愛を求めて泣いている幼い子供がいて、その子供の泣き声から耳をふさぐことができなかったからである。

子供はいくらでも愛を求めて構わない。それが仕事だからだ。そして、大人の役割は、子供に、与えられるだけの愛をすべて与えてやることだ。
民生氏の楽曲を聴いていると、まだ彼の中の子供は愛に飢えているようである。子供なら、なりふり構わず愛を求め泣いても許されるが、大人がこれをやる訳にはいかない。でも愛は欲しい。さて、どうしたらいいのだろうか。

答えは、もうお分かりだと思うが、たとえ裏切られても、相手を信じることを辞めないことだ。傷つくことを恐れず、まず自分から愛を与えることだ。自分の抱える孤独と向き合い、それを自分で乗り越えない限り、いくら他人と一緒にいても、魂の孤独は癒されることはない。他人は他人なのだ。

奥田民生氏の芸術家としての才能、努力を惜しまない誠実さ、自己の音楽と向き合う時の、厳しすぎるとも取れる姿勢、それはもう天才の域だと言っても過言ではない。しかし、ベートーベンの例にもあるように、天才の実生活が必ずしも愛に満ちていたとは限らないし、そうでない場合の方が多いのではないだろうか。

私は、芸術家の方々を尊敬している。その素晴らしい、美しい魂が、俗世間の垢にまみれてしまわないように、芸術家の方々を護れたらと思う。しかし、「そしたらどうしたらいいのさ」

あなたの思いは、われわれのもとに届いてる。それを伝えるにはどうしたらいいのだろうか?
私たち一般人は、どうすれば、あなたの思いが届いていることを、あなたに伝えることができるのだろうか?

人はみな、その中に深い闇を抱えて生きている。

そういう意味では、一般人も、表現者も、同じ人間である。

あなたの歌を聴いて、私たちの孤独が癒されたように、あなたの孤独がこの拙い文章を読むことで、少しでも癒されますように。

2010年6月29日火曜日

コラム:digital divideという差別

 人間社会には、その進化の過程に応じて様々な差別がある。例えば、古来より最も長く続いてきたのは、女性差別と身体障害者差別であろう。この2つは、人間社会が進化するにつれて、少しずつその激しさを減じてはいるけれども、なくなることはない。江戸時代には、士農工商エタ・非人といわれるように、部落差別が生まれ、現代でも続いている。また、学歴差別、宗教差別、出自による差別、職業差別、病による差別と、差別をあげればきりがない。ただ、ここに挙げた差別の多くは、それが「差別」と認識され、無くしていく方向に向かおうというコンセンサスがその社会である程度図れている点で救いがある。勿論、現在もこういった差別に苦しんでいる人がいることは否定しない。
 現代社会で、いま静かに進行し、「差別」として認識されていない差別がある。それがタイトルに挙げた「digital devide」(デジタルディバイド)である。現代社会では、「富」を得るためにもっとも必要とされるのは、「情報」である。株取引一つを取り上げても、ある会社に関する情報を握っている人間がもっとも有利な取引ができるのは明白だ。その情報を得る手段が、パソコンやインターネットなどのデジタル機器を必要とするものに、すごい勢いで移りつつある。いわゆるマス・メディア(テレビ・新聞・雑誌など)の情報は、はっきり言って古いのだ。情報としての価値はあまりない。
 みなさんは、不思議に思ったことはないだろうか?どうして自分はいつも行きたいライブのチケットを電話で予約しようとしてもできないのに、あの人はいつもチケットを手にしている、それも随分前の段階で。その答えは、デジタル機器の操作性、いわゆるメディアリテラシーの高さによるのである。
 大変閉鎖的で、選民思想にも通じるので、私は嫌いなのだが、現代社会は確実にデジタル的格差社会である。そして、この格差社会の厄介な点は、利益を得ていない人間がその不平等性を主張することはまずない、ということだ。なぜなら、「情報を得られない」イコール「本人の努力不足(あるいは知識不足)」として片づけられてしまうからだ。これは、市場経済、あるいは資本主義社会の「弱肉強食」主義と全く同じである。つまり、自己責任、ということだろう。
 現代社会では、「誰もが平等」というスローガンのもと、小学校では運動会に1位を決めない学校もあるそうだ。しかし、こんな見せかけの「平等主義」の下で、新たな差別社会は着々と肥え太っているのである。この社会に真の平等など存在しない。なぜなら、人間一人ひとりが生まれ持った能力はそれぞれ異なるし、家庭環境、本人の努力する能力、趣味、興味の対象など、いわゆる「個性」と言われているものは個人によって異なるからである。「個性」…なんと便利な言葉であろうか。「パソコンが使えない」「お金がない」「やる気がない」…こういったネガティブな側面まで、この「個性」という言葉は引き受けてくれる。そして、私たちが努力する理由を奪い取っていく。
 この差別をなくすために取れる唯一の方法は、「教育」である。ベタだが、これしかない。小学校から、「情報教育」、特に、自分の必要とする情報をどのようにして手に入れるのか、その方法論を徹底的にたたきこむべきだ。でなければ、日本は、一部の「情報エリート」とその他大勢の無知蒙昧な「情報難民」に分かれ、「情報エリート」による富の占有化がますます進むだろう。
それでいいのだろうか?私はいいとは思わないが。

2010年6月28日月曜日

映画日記:和製タランティーノ! 『シーサイドモーテル』 2010/6/27(日) シネリーブル神戸

監督・脚本:守屋健太郎 主演:古田新太 生田斗真 麻生久美子 小島聖 山田孝之 玉山鉄二 成海璃子 池田鉄洋 温水洋一 音楽:Your Song is Good 主題歌:ラナウェイ シャネルズ

いやあ、勘だけで「おもしろそう!」と思って観たんですが、これがもう当たり中の当たり!超おもしろかったです!

映画を見るときは、タイトル、ポスターの雰囲気、出演者、監督なんかで、観るかどうか決めるのですが、これを見る決め手になったのは、やはり古田新太さん。古田さんは、劇団新感線の看板役者であり、またご自分でも”ネズミの三銃士”というユニット(池田成志さん、生瀬さん)を主宰し、去年宮藤官九郎さん脚本の「印獣」(三田佳子主演)という凄い舞台をされました。また、テレビドラマでも活躍されており、私の大好きな役者さんのお一人です。
古田さんの感性を信用しているので、古田さんの出ている映画はもう絶対おもしろい!古田さんを見れるだけでも、映画を見る価値がある!と思って観たのですが…。もう和製タランティーノ!!!

タランティーノの映画を始めてみたのは、多分"PULP FICTION"だったと思うけど、あの時に感じた衝撃と同じものを感じました。タランティーノの映画は、その脚本、カット割り、音楽、役者の起用まで、彼独特のこだわりが徹底しており、一見何の脈絡もない、別々のストーリーが、複雑に絡まり合い、終盤へ向けて一気に同じゴールへと向かっていくときの、あの爽快感が堪らず、大ファンなのですが、この映画にも同じこだわりがあります。

映画の舞台は、シーサイドモーテルという、うらぶれた田舎のモーテル。おそらく東海か、関東北部と思われる、木々以外にはなにもない(勿論海も!)辺鄙な場所にそのモーテルはあります。
モーテルの雰囲気がたまらなくいい!古くてボロボロなんだけど、70's~80'sのアメリカのインテリアって感じで、懐かしいようなおしゃれな内装。登場人物が来ている洋服の色彩感覚も抜群!

物語は、そのモーテルのそれぞれの部屋で繰り広げられる、それぞれのお客の人間模様をちょっと冷めた、コミカルな視点で描きます。タランティーノの映画と同じように、嘘・裏切り・暴力・殺人・セックスといった、いわゆるおこちゃまにはちょっと…的な場面も多いのですが、まあ、おこちゃまはディズニー映画でも観とけばいいんじゃないすかね?これは大人のための、大人の娯楽映画ですからね。

ストーリーはあってないような感じなんですが、それぞれのエピソードや台詞がもうとってもおもしろい!原作があるそうなので
買って読んでみたいと思います。いやあ、でも、この守屋さんという監督、すごい人ですね!必ず巨匠と呼ばれるようになる!と確信しました。

役者の方々の演技も素晴らしく、特に麻生久美子さんの小悪魔的デリヘル嬢は良かった!麻生さんも大好きな女優さんです。この方はほんとに幅広い役をこなされますね~。

この映画は見とかないと損しますよ!ぜひ映画館に足を運んでください!!!

2010年6月26日土曜日

観劇日記: コント以上演劇未満 「愛pod」 at シアタードラマシティ 2010/6/26(土)

本日、鈴木おさむ作・演出、今田耕司、堀内健、サバンナ高橋、ブラックマヨネーズ小杉主演の「愛pod」を見てきました。

やはり、お笑い芸人さんの瞬発力は凄い!コント部分の台詞のやり取りはテンポもよく、客席もどっかんどっかんと湧いていました。

ただ、演劇として今回の舞台を観ると、いくつか不満が残りました。
まず、舞台装置。テレビのコントの書き割りと大差なく、大変平面的。このため、舞台に奥行きがなく、舞台がコント以上に見えることはありませんでした。
それから、脚本・演出面。コント部分は大変面白かったのですが、舞台も終盤になり、シリアスな場面になると、主人公の今田さんの説明的なセリフがこれでもかと続きます。途中からもう聴く気が失せました。
演劇では、台詞と台詞の間にどのような「間」を取るかによって、観客にセリフ以上のものを想像させることができます。それを、すべて役者の台詞で説明してしまうと、観客の想像力を働かせる余地がありません。結果、とても退屈な舞台になります。

それから、最後に使用されていた、印象的な場面をつなぐモンタージュ。これは、テレビや映画の手法をそのまま演劇の舞台に応用したものであり、何の工夫も感じませんでした。先ほどの指摘と同じく、観客の想像力を掻き立てることは失敗していたと思います。

鈴木さんの着想は面白かったので、鈴木さんは脚本のみを担当し、演出は演劇の専門家に任せた方が、よい舞台になったのではないでしょうか。想像ですが、裏方のスタッフもきっとテレビ業界の方方で、演劇分野で活躍されている人は関わってなかったのでは?それほど、演劇的手法に欠ける舞台でした。これを演劇として舞台に乗せる必然性はまったく感じませんでした。テレビで十分です。

観客には大変受けていたので、まあ、一概に私の意見が正しいとは言えないことは百も承知ですけどね…。

2010年6月25日金曜日

奥田民生:アンダルシアの太陽 『Room 503』 ひとりカンタビレ

奥田民生氏のひとりカンタビレライブの楽曲が、8月4日に『OTRL』というタイトルでアルバムとしてリリースされる。全10曲の音源を改めてスタジオでリミックスし、それに「幻の公演」として、『暗黒の闇』という楽曲が追加された、全11曲である。初回限定盤には、これにカンタビレライブの模様をダイジェストにしたDVDが付く。AMAZONで予約すると、初回限定盤が20パーセントOFFで購入できるので、この奇跡のライブを生でご覧になれなかった方には、初回限定盤の購入をお勧めする。

さて、宣伝はこのくらいにして、ひとりカンタビレの楽曲の考察に入ろう。ひとりカンタビレの楽曲の中で、一際異彩を放っているのは、この『Room 503』ではないだろうか。民生氏の楽曲には珍しく、スペイン民謡を彷彿とさせるギターの音色と、手拍子、カスタネット、タンバリンが入っている。

最初は、この曲の印象はあまり強くはなかった。これは5月21日の名古屋ダイヤモンドホールで録音されたが、最終楽曲の5月23日収録の『解体ショー』と同時に配信された。今までの楽曲が、ほぼその日のうちの配信だったことから考えると、この1曲はすこし趣向が違っているのだろうか、という疑問が浮かぶ。

耳にした第一印象は、その音の美しさである。単純に、録音のクオリティが他の楽曲と比較にならないくらい良い。素人の私でもその違いが分かるほどである。そして、スペインの明るい、強烈な日差しを思い起こさせるような、ギターの音色。いきなり、溢れんばかりの陽光に照らされたかのような、音を聴くだけで眩しさを感じるような明るさである。

手拍子やカスタネット、タンバリンで、スペイン風の独特な、細かいリズムが刻まれ、聴いているだけで、心が浮き立つような曲調である。また、ギターソロの演奏が素晴らしい。クラシックギターを思い起こさせる、美しく繊細なメロディ。その響きは官能的ですらある。

「ひとりカンタビレ」というライブのタイトル通り、民生氏は、この楽曲で、オーケストラのような美しいシンフォニーを、ギター、ドラム、ベース、パーカッションのみで表現されている。この楽曲を聴きこめば聴きこむほど、この曲が持つ絵画的な美しさに心が打たれる。

また、メロディやリズムの圧倒的な明るさとは対照的に、詩の内容は「朝が来ることはない」といった、「暗闇」を連想させる暗いものである。民生氏の楽曲によく使用される手法であるが、相反する2つの要素をそのまま1つの曲の中に存在させ、聴く者にアンビバレントな不安を抱かせるという手法が、ここでも、メロディと詩の内容の矛盾という形で使われている。

民生氏は、ご自身の音楽性について、ご自分から多くを語る方ではない。しかし、この楽曲をお聴きになれば、民生氏の音楽的背景の深さと広さを感じずにはいられないだろう。民生氏の楽曲は、いわゆる彼の音楽性という大きな氷山の一角であり、氏の音楽的背景は、ロックやポップスに止まらず、クラシックや民族音楽など、様々な要素を含んでいると思われる。これは、氏の音楽家としての柔軟性、芸術家としての審美眼の高さ、確かさを表していると私は感じる。

2010年6月21日月曜日

奥田民生:運命の扉 『解体ショー』とひとりカンタビレ

私が奥田民生氏のカンタビレの楽曲の中で最も好きなものは、最終楽曲の『解体ショー』である。もう何十回聴いたかわからない。しかし、まだ聴き方が甘かったようである。

みなさんは、この楽曲の冒頭のドラムに気づかれただろうか。「ダダダ」と8分の1拍子を刻み、その後ギターとともに「ジャーン」と入る。私はこれまでここを聞き流していた。しかし、ふと、「これは、ベートーベンの交響曲第5番の『運命』の冒頭と同じリズムだ。」ということに思い当った。不思議なもので、いったんそう聴こえると、そのようにしか聴こえない。

ここからは、私のこの当て推量に基づく考察なので、真偽のほどは保障できない。

民生氏がこのひとりカンタビレという企画を行おうと決意されたとき、その裏には、大きな勇気---それは蛮勇といっても過言ではない---を必要とされた、というのは想像に難くない。様々な葛藤や迷いと戦われ、それでもご自分の未来を切り拓こうという決意を固められた。それは、カンタビレの最初の曲『最強のこれから』に表れているように感じる。

民生氏にとっても初めての経験であるカンタビレライブは、予想もつかないようなハプニングや問題の連続だったのではないか。事実、4月29日のPARCO劇場(収録曲『音のない音』)では、氏のMacがフリーズするという、あわやカンタビレもここまでか、というトラブルが起きた。
そういった様々な困難を乗り越えていく中で、氏の音楽家としての才能、技術の確かさ、志の高さなどが徐々に周りに影響を与えていく。それは単に音楽業界に止まらない。5月21日に日本テレビで放送された「ニュースZERO」のZEROパーソンのコーナーで、氏のひとりカンタビレライブの模様と、音楽業界の行く末を案じ、若いミュージシャンに対する深い思いやりを表現された氏の姿に感銘を受けた方も多いだろう。そして、氏がどれほど誠実に音楽と向き合っておられるか、その姿勢を見せることで、氏は多くの人々に勇気を与えた。私も勇気を貰ったひとりである。

民生氏の中でも、恐らくこのひとりカンタビレライブを行ったことで、何かが変わられたのではないか。それは、氏の勇気ある行動が、周りの人間に確かな影響を与えていると実感し、ご自身の影響力の大きさを改めて認識され、音楽家としての大きな責任を感じられたのではないだろうか。

運命の扉は、困難を承知の上で、あえてそれを引き受ける覚悟を決め、扉を開けようとするものにしか開かない。民生氏は、そのことをこのひとりカンタビレライブを通して確信し、その信念からひとりカンタビレ最終曲『解体ショー』は生まれたように私は感じる。

民生氏は音楽家でいらっしゃるので、氏の世界の表現は音楽の方法論に則っている。しかし、注意して氏の楽曲を聴けば、氏のメッセージを読み取ることは可能だと思う。そして、氏のメッセージは、詞だけではなく、作曲作法、使用楽器、演奏方法など、言葉というものに依存している要素が少ない分、日本語という枠にとらわれることなく、全世界に通じる、力強い普遍性を持っているのだ。

2010年6月15日火曜日

映画日記:PRECIOUS is a really precious movie!

主人公のプレシャスを取り巻く状況は劣悪だ。彼女は黒人で、肥っており、底辺層のハーレムで暮らしている。学校ではバカにされ、勉強したい気持ちはあるが、読み書きもままならない。まだ中学生であるにも関わらず、父親からは性的虐待を受け、母親からは精神的・肉体的虐待を受けている。彼女はこれまでに父親の子供を1人出産しており、またもや父親の子を妊娠中である。

私にとって最も印象深かった台詞は、プレシャスの “Here make me feel here.” である。これは、「ここにいることが私をここにいてもいいと思わせてくれる」という意味だと思うが、「ここ」というのは、彼女が妊娠を理由に通っていた中学を退学になり、その代わりに行くことになった代替学校(alternative school)のEOTO “ EACH ONE TEACH ONE” のホームルームクラスでの一言である。彼女はそこで初めて、学ぶこと、友人とともにいることの喜びを味わう。

彼女がこの台詞を言ったとき、プレシャスはきっとEOTOのクラスが彼女を安心させ、 “I am OK”という感覚を与えてくれたのだ、と言いたかったのではないか。
人生でもっとも大切なことの一つは、”I am OK.”という感情を持つことだと思う。しかし、人生は時に厳しく、そう思えないことも多い。
プレシャスの場合もそうである。彼女は、母親からの「お前は役立たずだ!」「おまえなんか生むんじゃなかった」というようなひどい言葉を何度も浴びせられ、肉体的にも、母親からも父親からも痛めつけられる。
しかしEOTOで学ぶことによって、彼女は自分のネガティブな自己イメージを変え、自分の子供たちと自分自身を過酷な状況から救い出す強さを持つようになる。

上で書いたこととつながるが、この映画で強調されているのは、教育の重要性である。EOTOの教師、ブルーレインは、大変素晴らしい女性である。彼女は暖かく、思慮深い人で、彼女のEOTOの生徒たちに毎日日記を書かせ、それに毎日返事を書く。EOTOで、プレシャスはアルファベットを覚え、単語を覚え、文を読めるようになり、自分の感情を表現できるようになる。彼女はまた、自分の意見を主張できるようになり、自分の状況を変えるために、自分の考えや感情を表現することがいかに大切であるかを認識していく。彼女は、知識とは自己を守るための武器であるということを知るのだ。

私はこの映画に大変感銘を受けた。変わりたいと願い、その努力を怠らなければ、自分を変えられるのだと信じることができた。私たちはいつでも自分の人生を変えられる可能性を持っている。

変わりたいと思った時、そのときこそあなたが本当に変わるチャンスなのだ。

2010年6月13日日曜日

奥田民生:決意の「花」 『花になる』とひとりカンタビレ

民生氏の詩の世界には、頻出する言葉というのがいくつかある。民生氏の楽曲をよく聞いておられる方ならお気づきであろうが、「愛」「道」「旅」「海」「空」「山」「雨」「太陽」…などである。そして、そういった言葉の中でも、最頻出の言葉のひとつは「花」であろう。

また少し言語学の知識を援用したいのだが、一般に比喩といわれているものは、直喩と暗喩とに分けられる。直喩とは、「君はライオンのようだ」にあるように、「~のようだ」という言葉が付いているものである。譬えであるということが、この「~ようだ」という言葉からすぐわかるので、「直喩」という。暗喩とは、メタファーに代表されるものであるが、「君はライオンだ。」これが暗喩(メタファー)である。もう少し難しい話にお付き合いいただきたいが、暗喩には、メタファー(metaphor), メトニミー(metonymy)(換喩)、シネクドキ(synecdoche)(提喩)の3種類がある。metaphorは、あるものを類似性に立脚して別のものでたとえる方法(君はライオンだ)、metonymyは「隣接関係」に立脚しており、たとえば、「永田町界隈が騒がしい」などという表現で使われる「永田町」は、永田町にある政治の中枢(国会議事堂)を指す。synecdocheは「部分と全体の関係」「種と類の関係」といわれるが、あるものをそれが属するより大きな全体でたとえる方法(英語で海のことをwartersと表現する場合)である。

では、民生氏のよく使われる言葉「花」に戻ろう。「花」はsynecdocheである。古来より、日本人が「花」というと、それは「桜」を指していた。つまり、「花」が“類”で「桜」が“種”である。紀貫之の短歌がその代表例である。

ひさかたの 光のどけき 春の日に しずこころなく 花の散るらむ

長い間日本人にとって「花」=「桜」という図式は定着したものだった。
しかし、民生氏の歌詞に出てくる「花」で、「桜」を指していると思われるものはない。民生氏は、ご自身の楽曲「野ばら」や、くるりの「ばらの花」をカバーされていることからも推察できるように、「花」=「薔薇」とお考えだと思う。では、なぜ民生氏にとって、「花」は「桜」ではなく「薔薇」なのだろうか。

ここで、爆笑問題の太田光氏と中沢新一氏との共著「憲法第9条を世界遺産に」(集英社新書)から、太田氏の桜と薔薇に関する興味深い考察を取り上げてみたいと思う。
太田氏は、この本の中で、坂口安吾の「桜の森の満開の下」を例にとり、「桜というのは、根元に死体を隠しているかもしれないと思わせるような狂気を含んでいるが、その狂気を隠し、一斉に咲き誇る幻想的な光景で人を狂気に導く、恐ろしい花だ」というようなことを述べられている。それに対して、「薔薇は、同じ花でも、とげがあることを隠していない。そういう点で潔い。僕は桜より薔薇が好きだ。」ということをおっしゃっている。

民生氏の楽曲でも、「花」は『花になる』の歌詞から見てとれるように、決して桜ではない。

魂の男 野に咲く花になる 

魂の男 太陽が照らす

最強の花に 究極の太陽に

(『花になる』 『E』2002)

桜は、一瞬にあでやかに咲き、刹那の美しさを私たちに与え、一斉に散っていく。これは、あることに国民全体が一瞬で熱狂し、ブームが去ればすぐ醒めるという日本人の精神性に非常に合致している花だといえるだろう。もちろん昔の人びとは、盛者必衰といったむなしさをこの花に見て取ったことも否定はできないが。
それに対して、「荒野に咲く花」は決して群れて咲くことはない。イメージは一輪で荒野にしっかり立って咲いている薔薇である。

民生氏の楽曲に通奏低音のように流れている哲学、そこから推察される彼の信条は、「人に安易に同調せず、自分の信念を貫き通す」というものなのではないだろうか。このことから考えると、やはり「桜」では、イメージに合わないのはお分かりだろう。

民生氏の革新的な企画「ひとりカンタビレ」、これは、民生氏が自宅でされている「宅録」をステージの上で公開し、ドラム、ベース、ギター、タンバリンの演奏、ボーカルをすべてひとりで行い、さらにはミックスダウンも氏が行ったうえで、3時間半のうちに1曲を完成させてしまうという驚くべきものであったが、このような企画を立て、実行に移すには、一体どれだけの技術、労力、才能が必要なのか、想像ができないくらいである。このような企画を実現してしまうのは、やはり、民生氏が「自分の才能と演奏技術のみをよりどころにして勝負する」という決意を持っていらっしゃるからだと思う。民生氏は、決してそれを声高に言う方ではない。だが、彼の舞台上でのパフォーマンスは、まさに「荒野に咲く一輪の薔薇」の潔さを私たちに連想させる。そして、その決意の確かさに私たちは圧倒され、深い感動を覚えるのであろう。

2010年6月9日水曜日

UNICORN:しあわせのかたち 『裸の太陽』DVD

今日夜家に帰ってみると、アマゾンから『裸の太陽』が届いてました!
初回限定盤なのでDVD付きなんです!

早速、DVDを観ると…

1曲目は『ひまわり』
少し紗のかかった画面の中で、ユニコーンのメンバー、民生さん、義晴さん、EBIさん、テッシ―さん、川西さんが、にこにこと本当に楽しそうにレコーディングをしている模様に、『ひまわり』の懐かしいメロディーが重なっていく。
「ああ、ここにはしあわせが溢れている」
画面を通して、「僕たちは本当に幸せだよ~」っていうオーラがこっちまで伝わってくる。ものすごい感動。溢れる涙。

2曲目は『パープルピープル』
今度は、ツアーの移動中の車内や、車内から見た景色が、白黒の画面の中で、やさしく揺れる。やはり、この中でも、メンバーはみんないつも笑っている。楽しそうに。

3曲目は『半世紀少年』のクリップ
川西さんの軽快でちょっとコミカルなラップが流れる。サビのメロディーに載って、ステージの上で、裏で、まるで少年のようにはしゃぐメンバーたち。子犬がじゃれあっているかのような、無邪気な姿に、
「幸せってこんなかたちしてるんだあ」
と、自分の胸の中が、ほっこりとして、自然と笑みが生まれてくる。

4曲目は『サラウンド』at さいたまスーパーアリーナのライブ映像。
全員がゴルフウエアに身を包み、石川遼くんの髪型にお揃いにして、まじめな顔で歌ってる民生さんがおもしろかっこいい。髪の毛は、地毛かなあ???

5番目は、2010年の新年会。焼き肉屋さん。
民生さんは、自分から進んで肉を焼いて、義晴さんに肉をあげる。川西さんとEBIさんは、とにかく笑ってて、楽しそう。義晴さんは、「歯が餅に持ってかれた~」って話をずっとしてる。テッシ―はあまりしゃべってないけど楽しそうにしてる。
「夏フェス何にでる?」ということを、意外にも真剣に話している。
義晴さんが、「出ないんなら、出ない理由をちゃんといってくれないと、意味がわからない」と、はっきり主張。福岡HIGHER GROUND、具知安は確実にでるけど、SETSTOCKは?フジロックは?とその先がなかなか進まない。ファンとしては、「出れるもの全部でて~!」って感じだけどね。

ああ、この5人の男たちは、こんなに幸せで、楽しそうで…。
大人になるって、やっぱりいいもんですね。
もちろん、山あり、谷ありの人生をそれぞれが歩んできて、その苦労を乗り越えたところに、この幸せが存在していたんだよね。

山のあなたの空遠く さいわいすむと人のいう

昔国語の時間に習った詩を、思い出しました。(うろ覚えなんで、間違ってるかも(汗))

2010年6月8日火曜日

奥田民生:自己を突き放す視点 『かたちごっこ』

奥田民生氏のひとりカンタビレの楽曲は、どれも素晴らしいものばかりだが、個人的に好きなのはこの『かたちごっこ』と、最終曲の『解体ショー』である。今日は、『かたちごっこ』を取り上げて、民生氏の詞の世界、音楽の世界を探っていきたいと思う。

「~ごっこ」というのは、日本人には慣れ親しんだ言葉である。私たちは子供のときから、「おままごと」や、「お店屋さんごっこ」などをして、遊びを通じて大人のまねごとをし、大人の社会に適応する訓練をしていると言える。

しかし、民生氏の『かたちごっこ』で使われている『~ごっこ』というのは、そんな郷愁をそそる甘いものではない。
歌詞の一部を以下に引用する。


かたちごっこ


雪解けの 賑いの ひかり
放っておいて 僕は
ひとり ベッドに もぐりこみ
子供ごっこで まだ眠る

週明けの わざわいの 手紙
読んで 泣いて 僕は
ひとり ベッドに しがみつき
孤独ごっこに 時を使う

紙ジャケの お気に入りの歌 
買って 聴いて 僕らは
ふたり ベッドに 腰かけて
大人ごっこに ただ夢中

お色気の 君からの言葉
降って湧いて 僕らは
ふたり ベッドで 触れ合って
癒しごっこに 汗をかく

【中略】

有明の 静かに吹く風
放っておいて 僕は
ひとり ベッドで 閃いて
悟りごっこに 時を忘れ

イタチごっこで また遅刻


楽曲からの聞き書きなので、漢字表記や使用した言葉が誤っている可能性があるが、民生氏の詞の素晴らしさ、その本質は伝わると思う。

ここで多用される「~ごっこ」という表現。「子供ごっこ」「孤独ごっこ」「大人ごっこ」「癒しごっこ」「悟りごっこ」「イタチごっこ」。
「イタチごっこ」以外は、民生氏の創作した言葉といえるだろう。
「子供」「大人」「孤独」「癒し」「悟り」…。どれも現代の日本を形容するうえで、避けることのできない重要な言葉であり、実際これらの言葉は使用頻度が高い。

ここからは私の推察で、調査をしたわけはないことをご了解戴きたいが、現代の日本人は「孤独」「癒し」「悟り」というものに依存しすぎているのではないだろうか。巷にはこれらの言葉が氾濫し、自分の「孤独」を声高に訴え、「癒し」を求め、安易な「悟り」を手に入れることに躍起になってる。そんな日本人のメンタリティに、冷水を浴びせかけるのが、民生氏の「~ごっこ」という言葉である。

少々難しい話になるが、言語学の用語に「メタ認知」というのがある。簡単に言ってしまえば、たとえば、自分が何か言い訳をしているときに、「あ、自分今必死で言い訳してるな」と、自分の発言や自分自身を客観的にとらえる認知のことを「メタ認知」と呼ぶ。

民生氏の「~ごっこ」という表現は、まさしくこの「メタ認知」である。
孤独を感じている自分に埋没することを避け、一定の距離をとって、突き放した視点から自己を省みる。
ここには、どんな物事をも冷静に見つめる、自己に対する冷徹な、厳しい視線が感じられる。

歌詞の内容や曲調は、物悲しく、甘く、せつないのだが、この「~ごっこ」という言葉があるおかげで、どっぷりとそれに浸りきれない。
自分の世界に埋没してしまうことを潔しとしない、民生氏の自己を突き放した視点が見事に結実した、名曲だと言えるだろう。

音楽については、私は素人なのだが、この楽曲には、ビートルズのLET IT BEを彷彿とさせるコード進行が使用されており、その相乗効果で、メロディーの叙情性が深まっている。

メロディーが持つ、甘くリリカルな調べと、詞の世界が持つ、自己を突き放す冷徹な視点。矛盾する2つの要素が、ひとつの楽曲の中で見事に融合されている。

何度聴いても、涙が溢れてくる。本当に素晴らしい楽曲だと思う。

2010年6月7日月曜日

映画日記:What a Wonderful Fantasy! ALICE IN WANDERLAND

本日2本目の映画は、ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演のALICE IN WONDERLAND.

SATC2を観た後だったので、余計にそう思ったのかもしれないけど、同じおとぎ話でも、こっちはディテールへのこだわりがまったく違う。

小学生のころ、「不思議の国のアリス」が大好きで、ルイスキャロルの翻訳を貪るように読んでたけど、映画を観て、その頃のどきどきが蘇ってきました。19世紀(かな?)のイギリスの、ちょっとセピア色を帯びたような古めかしい建物、薔薇が咲き誇る英国庭園、コルセットつきのドレス、イギリス英語の発音・アクセント、不思議の国の植物、キノコ、ウサギ、カエル、チェシャ猫、双子のFAT BOYS、帽子屋、赤の女王のお城の豪華絢爛さ…。書きだすとキリがないけど、一つ一つが細部にわたって作りこまれてて、ティム・バートンの想像力の豊かさを感じずにはいられなかった。

それから、俳優陣の豪華なこと! ティム・バートンの映画の常連であるジョニー・デップは言うまでもなく、同じく常連のヘレナ・ボナム=カーターが、不細工な赤の女王を熱演!(この人は、こういう不気味な役がホントうまいなあ。美人なのになあ)アン・ハサウェイの白の女王はもうきれいでかわいくて神々しくて…。肝心のアリスも、ミア・ワシコウスカという女優さんだったんだけど、アリスのイメージにぴったりで、かわいくてちょっと生意気な女の子をホントにうまく演じてはりました。

SATC2は「新しいのに古くさい映画」だったけど、ALICE IN WONDERLANDは、「古めかしいけど新しい映画」って感じです。アリスが、自分の意志と考えを持った、ひとりの女性としてきちんと描かれていて、SATCのキャリーよりよっぽど感情移入できました。

あとは、セリフの音の楽しさ。「不思議の国のアリス」でも、言葉遊びが随所にちりばめてあったけど、この映画のセリフも、そこかしこに韻を踏んだセリフがちりばめてあって、「ああ、もう一度聴きたい!」って思う箇所が何か所もありました。

やっぱりfantasyはこうでないとね!

この映画はDVDかブルーレイを絶対買おう!

主題歌は、アヴリルが歌ってたけど、これもgood! サントラ買わないと!

映画日記:お気楽コメディー SEX AND THE CITY 2

SEX AND THE CITY 2を観てきました。
このシリーズはドラマの大ファンで、DVD全部持ってるんだけど、映画はなんかも一つやった。

思いつくままに列挙すると、現代の女性の代表みたいな感じで描かれてるけど、登場人物全員超セレブ(作家に、弁護士に、PR会社の社長に、ギャラリーのオーナー。それぞれ、家政婦とか、養育係がいる!)やから、まったく共感できない。キャリーとビッグのカップルがささいなことで喧嘩するんやけど、またその喧嘩の理由が、「仕事以外では家でゆっくりしたい」というビッグと、「結婚しても恋人気分でいたい、二人でお出かけしたい」っていうキャリー。最先端を描いているつもりだと思うけど、こんなん一昔前の日本のトレンディドラマでもネタにならんやろ。

それから、舞台に中東が出てくるねんけど、こんな微妙な世界状況やのに、まったくそれに対する配慮はなく、ただひたすら「アメリカ文化万歳!」ってな感じで、4人がアブダビで暴れまくる。アメリカ人がこの映画みて、もし恥ずかしくないとしたら、アメリカ人とは友達にはなれへんわ…。

どっかで聴いたことあるエピソードをつなぎ合わせて、大金かけて豪華に作って、「はいどうぞ」って見せられてもなあ。まあ、笑えるところは多かったんで、それなりに楽しめたけど、まったく何の余韻も残らん映画でした。

現代のアメリカでworking poorが増大していたり、リーマンショックで経済ががたがたやのに、こんな映画作って、ハリウッドって何考えてんのかなあ。これ向こうでヒットしたんかなあ?

ドラマシリーズでは、ほんとに等身大の女性の恋愛事情を、かなり突っ込んだところまで描いてて、はまってしまったけど、映画はもう駄目やね。とりあえず、主人公たちが「おとぎの国」の住人やから、全員(笑)。こんな作りもんの世界見せられても…って引いちゃいました。

あ、収穫がひとつ。なんと、あの「キャバレー」のライザミネリがカメオ出演してて、ダンスと歌を披露していたこと!これは「キャバレー」ファン、ライザミネリファンとしてはとっても嬉しかったです!

まあ、あとはファッションかなあ。でも、砂漠でもフェラガモとか、ディオールとか、エルメスとかで決めてて。成金!て感じ。「郷に入っては郷に従え」っていうことわざ、英語にもあるんですけどね。

何も考えず、お気楽に時間をつぶしたい人はどうぞ。

2010年6月5日土曜日

観劇日記:「裏切りの街」 2010/06/05  森ノ宮ピロティホール

脚本・演出:三浦大輔 出演:秋山菜津子 田中圭 松尾スズキ 安藤サクラ 他 音楽:峯田和伸(銀杏BOYZ)

 まだ観劇後の感動の余韻が残っている。久しぶりに魂が揺さぶられるような舞台を観た。

 三浦さんの脚本・演出は、舞台の上に痛いほどのリアルを再現する。演劇という架空の世界を観に来たのに、私たちは自分たちの日常の薄汚さ、狡さ、やりきれなさをとことん突き付けられる。

 主人公の男女は、日常の暮らしの中でお互いのパートナーとの精神的・肉体的ディスコミュニケーションに絶望し、そこから逃げ出す手段として、テレクラで名前も知らない行きずりの相手との、携帯電話の通話やメールという、今にも途切れそうな細い糸を手繰るようなやり取りにのめりこんでいく。結果的にそれはお互いの肉体を貪るところにまで至る。

 舞台は、一切の虚飾を排した、ぎりぎりと締め付けられるかのようなリアルをこれでもかと描き出す。それは、俳優のセリフにいわゆる芝居らしさが一切ないところや、今の日本を等身大に切り取った固有名詞の羅列、中身のない会話、嘘、相手を傷つけるためだけの発言、愛も快感もないセックスで表現される。救いのない現実の中にいるからこそ、他人とのつながりを求めずにはいられない、人間という存在のもの悲しい可笑しみが私たちの胸をえぐる。

 しかし、三浦さんの人間という弱者に対する視線はあくまでも温かい。名前も知らない二人が、ラブホテルでお互いの肉体を求めあった後、カラオケで「夢の中へ」を熱唱する…。このシーンは、私たちが心の底ではどれだけ他人とのつながりを求めているかが表現されていると思った。言葉を弄するだけの「会話」に絶望した二人が、「一緒に歌う」という行為に救いを求めているようだった。

 最後のシーンも印象的だった。主人公の男女が、いったんは別々の方向へ歩きだすのだが、「やっぱりもう少し一緒にいませんか?」と元の場所に戻ってくる。「まだ自分はだれかとつながっているんだ。」その感覚があれば、私たちはこの絶望的な現実を生きていく力を得られる。そんな風に思える場面だった。

 銀杏BOYZの峯田さんの音楽が、殺伐とした舞台に、美しい叙情を与えてくれた。時に激しく、時に優しく美しく響く音楽。言葉のない世界だからこそ、言葉よりも確かに私たちの感情を表現してくれたのだと思う。

 今回の舞台は、幕が降りた後、銀杏BOYZの峯田さんによる、主題歌の弾き語りライブがあった。上半身裸で現れた峯田さんは、アコギを優しくつま弾きながら、絞り出すように主題歌を歌ってくれた。

 そして、いったん退場した峯田さんが、5分ほどたってからまた舞台に登場して、「夢の中へ」を熱唱してくれたのだ。半分以上の観客が帰ってしまっていたが、残っていた観客は歓声を上げ、舞台のほうへ集まり、手拍子をとって峯田さんと一緒に歌った。こんな感動を与えてくれた峯田さんの優しさがうれしかった。

 駄目でも、ズルしても、裏切っても、それでも生きている。一方では近しい人との交わりを拒否しながら、見ず知らずの人間とのつながりを狂おしいほど求める。そんな矛盾した存在が、現代の私たち人間なのだと、すこし優しい気持ちになれた気がした。

2010年6月4日金曜日

OKUDA TAMIO: HITORI CANTABILE at PARCO THEATER in SHIBUYA 2010/29/Apr. Live Report ①

When I entered the hall, OT was already on stage, busy working at his computer desk.

On your left of the stage are drums, and behind them are six amps. In the middle of the stage, there are a sofa and table. Next to the sofa and table are OT’s computer desk and chair. On your right of the stage are OT’s guitars and basses.
These settings are the reconstruction of the recording studio at OT’s home.

“I didn’t know what PARCO theater is like. The arrangement of the seats is not good. I don’t like being watched like this…”
“Pretend not to watch me, please!”
“You are very quiet. I can record a song even if you make noise, so make yourself at home!”

PARCO theater is used for performing arts like plays or dance, so OT seemed to feel that it was different from the live houses where he had done his lives. He was a little bit nervous about that.

Here starts OT’s HITORI CANTABILE now!

First, OT explains how the recording will be going. He uses a mixing application called “pro tools”, which makes it enable to do operations such as PUNCH IN, PUNCH OUT, EQUALIZING and so on with his Mac. It also enables him to balance the sounds of each instrument recorded into his Mac.


1. Drums

It was my first time to watch OT drumming live. He is really a good drummer! He played only once, and that’s it.


2. Bass

Today OT plays the bass of Epiphone, which is reportedly a fake of Gibson (I don’t know whether it is true or not). Recently he likes the taste of a little cheaper sound.

“It is OK you are talking, because I don’t use the microphones when recording the bass sound.”
OT never forgets to take care of his audience. What a nice guy he is!

The recording of the bass appeared going well, but he made a mistake in the middle.

“ I made a mistake! Where?”
Talking to himself, OT is trying to find the place looking at the bass sound wave on the Mac screen.

“Now I use a high technique called ‘PUNCH IN’.”
To PUNCH IN is to insert the new sound into the original one from where the mistake is made.

“OK, the recording of the bass is done!”

Now OT explained what he was doing now by using the screen of pro tools, but I couldn’t understand his explanation fully due to my lack of knowledge.


3. Guitars

The first one: Gibson 335 black

“This is as easy as junior high students could play. The moving of codes is also no difficult.”

After tuning, OT started playing his guitar. Then, he found something wrong with his Mac!

“Oh my God, my Mac is down! All the music has been ruined!”
“ What should I do? What a trouble I have!”

I was much surprised and wondered what happened. The trouble was that OT's Mac had suddenly frozen. OT was at a loss about the problem.

“Anyway, please take a rest, wait and see.”

The trouble seemed quite serious; OT stood still in front of his Mac, looking at the screen. I was very worried, too.

Five minutes later, some staffs came on the stage and were trying to solve the problem, but there was nothing changed.

OT could not help smiling, watching his Mac screen. It seemed that he tried to come up with a good solution to this problem. He kept standing with his arms crossed, still looking at his Mac.

Another five minutes, and here comes a sound! OT's Mac is getting back!

“OK! My Mac is alive now! I was afraid that I would have failed in this HITORI CANTABILE LIVE! Now HIROSHIMA Carps are losing their game at the score 0-8. I suspect that it was the cause of this trouble.”

OT was born and brought up in HIROSHIMA pref., and he is a big fan for the professional baseball team, HIROSHIMA Carps.

Now he resumes his recording of the first guitar.

“I can’t afford to make another mistake any more!”

The sound of the first guitar was very gentle. OT repeated the same phrase. Maybe it would become the base of the accompaniment. The rhythm was also slow and tender, and I had an impression that this really rsembled an acoustic number of The Beatles.

The second recording is going well. OT, playing the guitar, is really cool! What a beautiful movement of his left fingers when he is playing the guitar! He looks very relaxed and enjoying himself.

“Oh no, I made a mistake at the end. I lost my concentration.”

(at a very small voice) “ I’m afraid that if I talked at a large voice, My Mac's mood would go wrong.”

OT confirms whether the recording of the first guitar is done, and say
"I will go to the next guitar!"

"I'm very shocked with my Mac trouble… Don't freeze when I need you so much!"
OT scolded his Mac! He is so cute!


The second guitar: Gibson

"This is the same level as high school students could play. I use Alpegio, which is the refrain of same melodies."

"You hear a slight vibration of the guitar sound. Then I will play."

The sound of the second guitar was a little brighter and lighter than that of the first one, and it was also clear and tender.

After OT finishes recording the second guitar, he confirms whether it has been properly recorded.

"I'm very happy only because the recording was properly done!"


The third guitar: Gibson LesPaul (used in the introduction and solo parts)

"This is the most expensive guitar that I use today. I don't use it so often, but when I use it, I would like to show it off!"

2010年6月3日木曜日

奥田民生:CROSS OVER ~情緒とRHYTHMの融合~ 『たびゆけばあたる』

5月30日、天満天神繁昌亭に林家小染さんの独演会を聴きにいってきた。
その独演会では、中入り後、浪曲師の師匠(お名前失念しました)と小染さんのコラボレーションがあった。とても面白く、おなかを抱えて笑ったのだが、私にとって新発見だったのは、浪曲の節回しの心地よさである。そのときふと思い当ったのは、「これは民生さんの『つくば山』(アルバム『30』収録)や『たびゆけばあたる』にとても似ているのではないか」ということだ。

浪曲はもちろん日本固有の伝統文化であり、その歌唱法は演歌や歌謡曲に脈々と受け継がれている。日本語という言語は、英語などと違って、強勢(stress)ではなく、音の高低(pitch)で強弱を表現する言語である。そのため、浪曲の歌唱法にもそれはあてはまる。

ここからが本題なのだが、民生氏は、楽曲におけるrhythmの重要性をしばしば強調している。それは、ひとりカンタビレにおいて、「タンバリンがこけたら曲がこける」「ギターもパーカッション」「歌も楽器のひとつ。すべてはグルーブを生み出すため」という発言からも十二分に窺える。つまり、民生氏の楽曲において、もっとも重要視されているのは、groove、rhythmだと言えると思う。

このことから単純に考えると、「じゃあ歌もstressをつけて歌ってるのかな」という結論がでてくるが、そこは、rhythmとrhyme(韻)、言葉の音が持つ響きに人一倍鋭敏な感覚を持たれている民生氏である。そんな単純な結論ではないだろう。

『つくば山』や『たびゆけばあたる』をお聴きになった方ならおわかりだろうが、民生氏は、これらの楽曲では、日本語の語感を大切にし、母音の響きを最大限に生かした歌唱法をされていると思う。つまり、浪曲師の歌い方と共通する歌唱法だと私は感じたのだ。

Rockn'rollやR&Bでは、rhythmをきちんと刻めるかが曲の成否を決める。そのことを十分理解したうえで、楽曲のrhythmはドラムやギターやタンバリンでしっかり刻み、歌唱法では、日本的郷愁を掻き立てるような、「こぶしをまわす」「子音を弱く、母音を伸ばす」ものを使用することで、日本的情緒と西洋的rhythmを見事に融合させてしまう。民生氏はこういったことを恐らく直感的に感じ取り、軽々と行っておられるように見える。Crossover-西洋と日本の垣根を超え、新しい世界へと飛翔されているように感じるのは私だけだろうか。

『えんえんととんでいく』に関する考察でも指摘したように、民生氏の歌詞は言葉遊びで溢れている。単に『言葉遊び』と片付けてしまうには、あまりにも惜しいので、別の機会に考察したいのだが、とにかく、『たびゆけばあたる』という題名からして、大変面白いではないか。この楽曲では、“棒”がひとつのキーとなるメタファーとして機能している。

西洋的rhythm、日本的な歌唱法、ことば遊び、こういった様々な要素が複雑に絡まりあって、民生氏の素晴らしい楽曲が生まれている。しかし、さらに凄いことは、こういったことをまるで苦もなく(見えないところで努力されているとは思うけれども)成し遂げてしまうように見えるところだ。

民生氏の楽曲を聴けば聴くほど、その凄さに感嘆するばかりである。

観劇日記:「変身」 at ブリーゼホール 2010/04/02 出演:森山未来、演出:スティーブン・バーコフ 

2010年4月2日の金曜日、森山未來の「変身」をブリーゼホールに観に行く。
カフカの「変身」は主人公がある日虫に変身してしまうという話だが、その虫をどのように表現するのか興味津々だった。

森山未來は衣装などを一切変えず、パントマイムと発声だけで見事に虫になっていた。 手足、指先、体の隅々にまで神経を張り巡らし、身体全体で虫を表現する森山未來の演技に圧倒された。本当に虫に見えて気持ち悪かったほどだ。すごい役者だと思った。

スティーブン・バーコフの演出も素晴らしい。鉄の棒だけで組み立てられた、シンプルな舞台装置。役者の動きと造形は計算され無駄がない。光りと影を効果的に使った照明。音響。どれも非常にシンプルだが、その全てが組み合わされたとき、 舞台が何よりも雄弁に観客に語りかけてくる。

ストーリーにも全く古さを感じなかった。虫になった主人公を抱え混乱する、家族の、というよりは人間の弱さ、ズルさ、醜さが浮き彫りになる。パンフレットにも書いていたが、社会的弱者、被差別者に対面したとき、人が本能的に感じてしまう嫌悪感、それを隠そうとする偽善や葛藤が実に見事に表現されていた。

改めてカフカを読み直したくなった。

奥田民生:言葉の持つ音楽性 『えんえんととんでいく』

 奥田民生氏は雑誌のインタビューなどで、「歌詞の意味はとくに重要視していない」という内容の発言を何度かされている。しかし、彼の発言とは裏腹に、民生氏の歌詞には、彼の音楽を省いてしまっても、言葉それ自体に確かな音楽性があり、また含蓄に富んだ内容と相まって私たちに深い感動を与えてくれる。

 たとえば、ひとりカンタビレライブで発表された『えんえんととんでいく』という楽曲。もちろん、音楽性が素晴らしいのは言うまでもない。私がここで強調したいことは、歌詞という、音楽を切り離した言葉の世界においても、そこに存在する“言葉の響きの美しさ”である。

 以下に歌詞を引用する。


『えんえんととんでいく』  


あの鳥はどこへいく


渡り鳥がただがんとして
闇の中をとんでく
列をくんで大きく見せて
長い距離をとんでく

えんえんとえんえんと
延々とゆくのか
えんえんとえんえんと
延々とゆくのか

永遠の永遠の
永遠のながめか
永遠の永遠の
永遠のさだめか


あともどりしたいけど
前のめりでとんでく
傷ついたあちこちを
治しながらとんでいく

えんえんとえんえんと
延々とゆくのさ
えんえんとえんえんと
延々とゆくのさ

永遠の永遠の
永遠のリハビリ
永遠の永遠の
永遠のリハビリ

えんえんとえんえんと
延々とゆくのさ
えんえんとえんえんと
延々とゆくのさ

永遠の永遠の
永遠のながめさ
永遠の永遠の
永遠のさだめさ


永遠の
永遠の


あの鳥は南の島


一読しただけで、詩に造詣の深い方でなくても、この歌詞に様々な作詞の技法(頭韻、脚韻、同じ音の繰り返し、同音異義語の多用など)が用いられていることがおわかりになるだろう。

特に、頭韻ではア音、エ音、三重母音(エイエ(ン)など)が多く使われている。ア、エ、オという母音は口を解放して発音するので、”音を発声する喜び”を私たちに与えてくれる音なのだが、民生氏の歌詞には、これらの母音が多用されるという特徴がある。

また、脚韻では、「~とんでいく」「~とんでく」、「~さだめか」「~ながめか」、「~がんとして」「~見せて」など、子音を1音もしくは2音変えるだけで、母音の配列は同じ、という技法が繰り返し使用されている。
これは、民生氏の他の楽曲にも共通する特徴だが、こういった「ことば遊び」に私たちは本能的な悦びを感じるのである。これはマザーグースなどの童謡にもよくつかわれる手法であり、ビートルズの歌詞にもこの技法がよく使われている。

つまり、民生氏の歌詞には、国籍・使用言語に関係なく、人間が本能的に持っている、言葉の音に対する感覚を悦ばせる音楽性があるといえるのではないか。そして、その言葉の音と、彼が使用するメタファー(「人生は旅」)とが絶妙に組み合わされ、えも言われぬ美しい歌詞が生み出されているのだろう。

「歌詞はどうでもいい」というのは、民生氏特有の謙遜であることは、みなさんも御承知だろうと思う。彼は、「どうでもいい」どころか、言葉というものに対して、類まれな鋭い感覚を持ち合わせているのだ。そして、その感覚が、彼の音楽と結びついたときに、奇跡のような美しい楽曲が誕生するのである。

2010年6月2日水曜日

奥田民生:ひとりカンタビレ at PARCO劇場 2010/4/29 ライブレポ②

ギター録音の続きから:
パソコン上で音源の微調整。ドラムの頭を消したり、イントロ終わりで音をreverse(逆回転)させて、ギュワーって感じにする。

「デジタルだとreverseも簡単なんですよ。」
 といいつつ、いろいろなパターンをやってみせてくれるけど、いまいち違いがわかりませんでした。

ギターの音を少し足すようで、
「これよく使うやつね。ギブソンのレスポールOT CUSTOMモデル。」
 といいながら、よく見る白いギブソンのレスポールを手に取る。

「チューニングが大事ですから。これちゃんとやらないと宮ちゃん(エンジニアさん)に怒られる。」

「(ギター)終わりです!」
 とすかさずお客さんから「保存!」という声が飛ぶ。
「そうそう、保存、保存。」


次はいよいよタンバリン&歌入れ!! 


④ タンバリン

「タンバリンは割と自信あります。軽く見られがちですが、難しいんだよね。
 バンドの中でやれって言われたら、ドラムの合間を抜かないといけないから、ドラムに合わせないといけない。」
とタンバリンに対するこだわりを熱く語る民生さん。
  
タンバリンと鈴を両手に持つが、
「鈴は必要あるかな?」

「結構テンポが遅いと難しい。」
と顔をゆがめてタンバリンを叩く。


「タンバリンはさっきのギターの8割増しで難しい。タンバリンがこけると、曲がこけるでしょ?」

そういえば、「僕らのワンダフルデイズ」でも、竹中直人さんにタンバリンのたたき方を指導したといってはったよなあ…。

「タンバリンOK!」 客席から「保存!」


ここでちょっと長めの民生さんMC:
「今日からprotoolsというソフトをupgradeしたんです。いいやつになったんです。したらトラブルが起きたんです。やっぱり今まで使ってたやつを使う方がよかった。音はそんなに変わらないし。」

「家でやってるときは、イメージがあって、ぼんやり、ぐたぐたで。ギターのフレーズもやってみたら違うなあ、とか思って、たらたら時間がかかります。でも、(このカンタビレは)一応やることは決めて、家でシュミレーションして臨んでます。」


やっぱり準備相当大変なんだろなあ。


「皆さんにも参加してもらいましょうか? もうすでに(こんなメロディーだと)作ってる人もいるでしょ?(だから僕の歌を聴くと)漫画のリョーツ(?)が初めて喋ったときみたいな?(違和感あるでしょ)」

お酒も回り、かなりハイテンションの民生さん。

「漫画って!」と自分に突っ込みを入れる。

「(こんなに酔っ払ってて)歌だいじょぶかな?」


いよいよ歌入れ!曲の全貌が明らかに!!



⑤歌入れ

(1)発声練習

「今はムードでやります。」
「あの曲をあんなに酔っ払ってやったんだ…。(と後から思うんだろうね)」
本番に向けて歌を練習する民生さん。

ここで民生流歌唱指導:
「(歌を歌う時に)大事なのはリズム。歌の場合は音程はどーでもいい!ってことはないけど…。」
 
するとお客さんから質問:「メロディーが先に浮かんぶんですか?」

「僕の場合はメロディーが先に浮かぶ。でもそれを鼻歌で歌う時でも、(そのメロディーにあう)口の動かし方 が決まっている。その中から合う言葉を探してつぎはぎにします。言葉の意味だけにこだわると、歌ったときに“違うかな”ということがある。」


民生さんの、メロディに乗せる言葉の響きに対するこだわりが聞けた瞬間でした。


(2)本番

なぜか「かすかに…」という歌詞で笑ってしまう民生さん。
テイク3、テイク4と重ねていくが、納得できない様子。

4テイクめの録音を聞いて、
「後半駄目だな。もっかいやっていいですか?だんだん酔っ払ってきたな…。」

「いつものレコーディングだと、こういう風にやる時もあるし、3回くらい歌ってからどれがよかったかってやる時もある。どうしてもこの1か所をどうにかしたい、というところは、他所から持ってくることもあるけど、僕はあんまり気にしない。細かい人は“もう1回!”ってなるけど、僕は3回やったら飽きます。」


さらにテイクを重ねますが、「さすがに真ん中ぐらいから行かしてもらいます。」


歌入れに関しては、「出だしがだめじゃん。」とか、「後半が…。」とか、やっぱりそうは言いつつも一番こだわってらっしゃるように見えました。


「さっきの出だしだけもっかいやらしてください。急に(声)出すと声が裏返る。最初に弱いんです。」

「PUNCH IN、PUNCH OUTしてるところも見所やで~。」とのこと。


ソフトのイコライザー機能で録音した音にカラオケのようにエコーをかけます。
「delay(音の残響?)もテンポに合わせてます。すると、ドラムの裏から聞こえたりして、グルーブが出るんです。」


「全部でリズムを出すんです。歌も楽器の一つで、すべては曲のグルーブを生み出すためにある。」


民生さんの曲作りの信条が聞けてうれしい。


(3)ハーモニー付け

「(何回か)やり直すんで、そんないちいちちゃんと聴かなくていいよ。」
と言われても、やっぱり聴いてしまいます。

サビのコーラスを入れ終わって、
「多分出来てますよ。パソコンよく復帰してくれました。(あの時は)もう帰ろうかと思いましたよ。」

客席からまた「保存!」の声。


「これでほんとに全部なのかな?ガッガッ(打ち込み?)とか入れなくていいですか?(笑)」
 
やっと仕上がって、少しホッとしたのか、冗談も出ます。



⑥ 曲の完成!
  
いよいよタイトルがバックスクリーンに映し出されます。


     タイトルは「音のない音」


ゆったりとした曲調で、やさしい、民生さんらしい繊細な歌詞と曲でした。
音楽でなくても、「音」は周りにたくさんあって、それを感じながら暮らしてらっしゃる(ミュージシャンだから当然か)民生さんの感性の鋭さ、感受性の豊かさが表れている曲だなと思いました。


1度完成バージョンを聴いて、9時30分を過ぎたころ、お開きになったのでした。


民生さん、お疲れ様でした。これを各会場で毎回違う曲でやってらっしゃるんですよね。
民生さんのprofessionalismを存分に見せていただいて、楽しませていただきました。
ありがとうございました。

 
曲はすでに配信済みですので、そちらを聴いてください。


以上でレポート終わりです。

長いのに読んでくださった方々、ありがとうございました。

奥田民生:ひとりカンタビレ at PARCO劇場 2010/4/29 ライブレポ①

6時10分前くらいに会場に入ると、もうすでに舞台上には民生さんの姿が。
忙しそうにパソコンに向かって作業中。

 向かって左手にはドラムセット(マイク10本)、その奥にはアンプが縦2台、横3台、中央にはソファーとテーブル、向かって中央右手には民生さんのパソコンの作業テーブル(マイクつき)。向かって右手奥には、ギター数本、ベース数本が立てておかれている。

「こういう劇場だって知らなかった・・・。席がまずいですね。見られてるの嫌だなぁ。」
「見て見ぬふりしてください。」
「今日静かなんだよな・・・。騒いでも(録音は)大丈夫ですよ。」

 パルコ劇場は、お芝居がメインの劇場なので、これまでのライブハウス形式と勝手が違う様子。少しナーバスになっている民生さん。

 そしていよいよカンタビレスタート。

 まず、録音手順の説明がある。使用しているミキシングソフトは”pro tools”(プロトゥールズ)だそうです。パソコン画面上で、録音した音にPUNCH IN、イコライザーなどの加工を加えたり、ミキシング操作をして各楽器のバランスをとるそう。

①ドラム録り
 民生さんが一人でドラムをたたくのを生で見るのは初めて。さすがにうまい。1発OK!

②ベース録り
 ベースは買ったばかりの、B級グルメ的な、ギブソンの偽物エピフォンだそう。最近ちょっとチープな音の方がお好きなんだそうです。

 「マイク関係ないから、しゃべってて大丈夫ですよ。」
 お客さんへの気遣いを常に忘れない民生さん。やさしくて素敵。

 ベースは順調そうに見えたけど、中盤でちょっと間違う。

 「間違えた・・・。チクショウ・・・。どこだよ・・・。」

 独り言をいいながら、画面上のベースの音の波形を見て、間違えた場所を探す民生さん。

 「今からPUNCH INという高度なテクニックをやります。」
 PUNCH INとは間違えた部分から、曲の途中で音を入れていく手法だそう。

 「はい、多分大丈夫、ベース終了」

 ここで、舞台上のスクリーンに映し出された、protoolsの画面を説明してくれましたが、 あまりよく見えず、わかりませんでした。

③ギター録り(3本)
 1本目: Gibson 335 black

 「中学生レベルです。コードも簡単です。」

 チューニングが終わり、ギターを弾き始めた民生さんに異変が!

 
 「気絶してる? 強烈に!! 台無し!」 「やべーいきなりピンチ!」


 何事かと思うと、突然パソコンがフリーズしてしまったのでした。焦る民生さん。
 
 「とりあえずトイレ休憩!」


 結構重大なトラブルのようで、民生さんがパソコンの画面をじっと見つめたまま、動かなくなってしまった。どうなる、ひとりカンタビレ!!

 5分くらいたって、スタッフが2~3人出てくる。みんなでいろいろやってるけど、解決の様子なし。

 民生さんはパソコンを見つめて苦笑い。どーしたもんかって感じ。机の前に腕を組んで立ち尽くし、じっと画面を見つめる民生さん。

 
 さらに5分ほどたつと、音が鳴る。復旧したみたい。

 「直ったー!いやー、ひとりカンタビレこけるかと思った。今カープが0-8で負けてるんですよ。 そのせいじゃないか?」


 再び1本目のギター録り。
 
 「ギターね、もう間違えたりしてる場合じゃなくなってきた。」


  一本目のギターは、優しい音色で、同じフレーズが繰り返される。多分伴奏のベースになる部分なのでは?と思う。ゆったりとしたリズムで、ビートルズのアコースティックな曲のような感じを受けた。

 2回目は順調に録音が進む。やっぱりギターを弾く民生さんはとてもかっこいい。弦を押さえる左手のきれいな指の動き。肩の力が抜けて、すごく楽しそうに弾いている。

 「チクショウ、最後間違えた・・・。集中力が・・・。終わったと思った瞬間に・・・。」
 (小声で)「大きな声を出すとまたこいつの機嫌が・・・。」
 
 録音できたことを確認し、「よし、次!」

 「いやー動揺したわ・・・。壊れちゃいかんよ、こんなときに。」とパソコンを叱る。かわいい。


2本目: Gibson (木目調ギター)

 「これは高校生レベルです。アルペジオといって同じ旋律の繰り返しです。」
 「音にうっすらビブラートがかかります。ではいってみまーす。」

 1本目よりも少し明るく、軽い音色で、クリアな優しい音でした。

 弾き終わって、録音を確認して、
 「セーフ!ちゃんと録れただけでこんなにうれしい!」 と喜ぶ民生さんがまたかわいい。


3本目:イントロ・途中のソロパートなど(Gibson LesPaul)
  
 「(今日のギターの中で)1番高いギター。ちょっとずつ出して自慢してるんです。」

 
 そのとき、民生さんが、「あー、びっくりした!」
 なんと、ドラムのしーたかさん(ふるたたかしさん)が会場に来てて、ビールを購入中。握手攻めにあう  しーたかさん。


 (1) イントロ

 しーたかさんが座席に着くと、いよいよイントロの録音。

 これまでのギターより、すこし高音がきつめな感じ。
 
 「これONするんだわ。」

 と何やら古い機械の電源を入れる指示を出す。なかなか動かない機械に、
 「俺の機材はボロボロばっかりか。」とツッコミを入れる民生さん。

 その機械は、古いテープリールを回して、ギターの音にエコーをかけるものらしい(がよくわかりません)。
  
 「また気絶してる~。」ついに電源ON!
 すると、録音したギターの音がさらにクリアに。


<閑話休題>
 民生さんがギターの演奏を間違えると、勤労の阿部さんコーナーで流れていた「チャンチャン」という音とともに、舞台の照明が赤に変わります。

 「お!(照明の)反応早いなあ。」「もう1回(録音)お願いします。」

 その後もう一度チューニングをし、再度録音。

 その間民生さんが、「僕の機材はそろそろ壊れるお年頃だもん。」とつぶやく。
一言一言になんか味がありますね。

 ギターのイントロは、アコースティックな感じの、明るいメロディーでした。


(2) 2番に入るところ
 また間違えると、今回も素早く反応する照明。
 「照明の反応いいですねぇ。」

(3) エンディング
 録音した音にエコーをかける時にクビを振る民生さん。
 「セーフ、セーフ」「どんだけ心配かけんねん。」とまた機械に一人ツッコミをいれるのでした。

(4) ギターソロ
 「次にソロ….ソロみたいな、だよ。」「ギターソロなんて1回で出来ないよ。」
 と予防線を張った上で、演奏をされます。

 「惜しいなあ。途中かな? ああ、これね、(もう1回)録っとこうかな?」
 ぶつぶつと独り言をいいながら、パソコンの画面を見て作業をする民生さん。
きっとお家でもこうやって録音してるんだろうな、と民生さんのプライベートを覗き見ている感じ。

 「急な速弾きとか入れたからおかしくなったんだな。」

 もう1度録り直し。大画面に民生さんの左手が大写しになり、速弾きの指の動きがよく見える。すごい。
鳥肌が立つ。

 
 録音した音を聴いてクビをかしげる民生さん。
 「後半の方はばっちりなんだけどなあ。」
 「もう、そんなに出来ないんだよ!」
 ちょっと飽きて来た様子。速弾きに手こずる。

 「さっきのとこれを上手く合体させればいいんだろ?」
 パソコン上で、2回目のテイクの後半と、3回目のテイクの前半をつなげる民生さん。
 
 「アナログ時代は、直す時に、そこだけ(録音機材の)スイッチを押してたけど、今は全部を録って、(パソコンの中に)溜めておける。自分で消さない限り残っていくからね。」
  
 「今日のはなかなかいい! 波形でわかる!」
 「ギターはこれで終了!」

 ギターあたりから、ビールに加えて、ワイルドターキーをロックで飲みだした民生さん。かなりテンションが上がっている模様。録音した音を聴く時もノリノリで、本当に楽しそう。

 「ちょっとトイレ行ってきていいかな?(パソコンのトラブルで)動揺したままなんだよ。ビールばっかり飲んでるからかな?」
ということで、ここでまたトイレ休憩。


  録音の過程を人に見せる、それもエンターテイメントとして見せる、というのは、想像以上にめんどくさいことだと思う。民生さんも、「一応家でプロセスを考えて、練習してきてる。」とおっしゃってたし。家でなら、録音の作業だけに没頭出来るのに、きちんと次に何をするのか説明しながら、お客さんに「今は聴かなくてもいいところだよ。」とか言ってくれる。このカンタビレは民生さんのサービス精神の表れだなと、あらためて思いました。

続きはライブレポ②で!