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2010年6月8日火曜日

奥田民生:自己を突き放す視点 『かたちごっこ』

奥田民生氏のひとりカンタビレの楽曲は、どれも素晴らしいものばかりだが、個人的に好きなのはこの『かたちごっこ』と、最終曲の『解体ショー』である。今日は、『かたちごっこ』を取り上げて、民生氏の詞の世界、音楽の世界を探っていきたいと思う。

「~ごっこ」というのは、日本人には慣れ親しんだ言葉である。私たちは子供のときから、「おままごと」や、「お店屋さんごっこ」などをして、遊びを通じて大人のまねごとをし、大人の社会に適応する訓練をしていると言える。

しかし、民生氏の『かたちごっこ』で使われている『~ごっこ』というのは、そんな郷愁をそそる甘いものではない。
歌詞の一部を以下に引用する。


かたちごっこ


雪解けの 賑いの ひかり
放っておいて 僕は
ひとり ベッドに もぐりこみ
子供ごっこで まだ眠る

週明けの わざわいの 手紙
読んで 泣いて 僕は
ひとり ベッドに しがみつき
孤独ごっこに 時を使う

紙ジャケの お気に入りの歌 
買って 聴いて 僕らは
ふたり ベッドに 腰かけて
大人ごっこに ただ夢中

お色気の 君からの言葉
降って湧いて 僕らは
ふたり ベッドで 触れ合って
癒しごっこに 汗をかく

【中略】

有明の 静かに吹く風
放っておいて 僕は
ひとり ベッドで 閃いて
悟りごっこに 時を忘れ

イタチごっこで また遅刻


楽曲からの聞き書きなので、漢字表記や使用した言葉が誤っている可能性があるが、民生氏の詞の素晴らしさ、その本質は伝わると思う。

ここで多用される「~ごっこ」という表現。「子供ごっこ」「孤独ごっこ」「大人ごっこ」「癒しごっこ」「悟りごっこ」「イタチごっこ」。
「イタチごっこ」以外は、民生氏の創作した言葉といえるだろう。
「子供」「大人」「孤独」「癒し」「悟り」…。どれも現代の日本を形容するうえで、避けることのできない重要な言葉であり、実際これらの言葉は使用頻度が高い。

ここからは私の推察で、調査をしたわけはないことをご了解戴きたいが、現代の日本人は「孤独」「癒し」「悟り」というものに依存しすぎているのではないだろうか。巷にはこれらの言葉が氾濫し、自分の「孤独」を声高に訴え、「癒し」を求め、安易な「悟り」を手に入れることに躍起になってる。そんな日本人のメンタリティに、冷水を浴びせかけるのが、民生氏の「~ごっこ」という言葉である。

少々難しい話になるが、言語学の用語に「メタ認知」というのがある。簡単に言ってしまえば、たとえば、自分が何か言い訳をしているときに、「あ、自分今必死で言い訳してるな」と、自分の発言や自分自身を客観的にとらえる認知のことを「メタ認知」と呼ぶ。

民生氏の「~ごっこ」という表現は、まさしくこの「メタ認知」である。
孤独を感じている自分に埋没することを避け、一定の距離をとって、突き放した視点から自己を省みる。
ここには、どんな物事をも冷静に見つめる、自己に対する冷徹な、厳しい視線が感じられる。

歌詞の内容や曲調は、物悲しく、甘く、せつないのだが、この「~ごっこ」という言葉があるおかげで、どっぷりとそれに浸りきれない。
自分の世界に埋没してしまうことを潔しとしない、民生氏の自己を突き放した視点が見事に結実した、名曲だと言えるだろう。

音楽については、私は素人なのだが、この楽曲には、ビートルズのLET IT BEを彷彿とさせるコード進行が使用されており、その相乗効果で、メロディーの叙情性が深まっている。

メロディーが持つ、甘くリリカルな調べと、詞の世界が持つ、自己を突き放す冷徹な視点。矛盾する2つの要素が、ひとつの楽曲の中で見事に融合されている。

何度聴いても、涙が溢れてくる。本当に素晴らしい楽曲だと思う。

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